代々木=三方ヶ原の戦い

私にとっての三方ヶ原の戦い=代々木
徳川家康は、三方ヶ原の戦いで武田信玄にこてんぱんにやられましたが、その後、見事に天下人となりました。そのときに通称「顰像(しかみぞう)」というこの肖像画をかかせたといいます
。
要は敗戦を自らの戒めとするためといわれています。
それだけ、自分を冷めてみて、いつかはこの借りを返そうと思ったのでしょうね。

私にとっての三方ヶ原は代々木です。代々木に本社がある会社で役員になりましたが、家庭の問題もあり、精神的に追い詰められていたせいか、社長の悪口をブログに書いてしまい、社長に解雇されてしまいました。
私は家康ほど、できた人間ではありませんでしたから、当時の気持ちを落ち着いて俯瞰することもできませんでした。正直死のうと思ったりしましたし、周りや自分を分析することもできませんでしたね。
いまでこそ、家庭の問題や、当時新潟センターの責任者だった私がどうがんばっても、新潟に仕事や人を割りふる流れをかんじれなかった社長にたいして思うところがありました。
私を解雇したあと、社長は3年後亡くなり、奥様も亡くなり、息子が社長になりました。新潟センターはなくなりました。そして代々木の本社は松本に移りました。私が、あの会社にいてどこまでやれたかはわかりませんが、やりがいをもって生きていたとは思います。
私にとって三方ヶ原、この代々木は私の精神を落ち着かせる場所となっています。
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